平原歴史公園
陽光のコスモスに思い馳せる 2,000年前の女王と伊都国の営み
最新の情報は店舗HPまたはSNSをご確認ください
JA糸島産直市場「伊都菜彩」から約2㎞南に位置する平原歴史公園(糸島市有田)は、日本最大級の銅鏡である国宝「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」をはじめ、勾玉(まがたま)などが出土した国指定遺跡「平原遺跡」を整備した公園です。
どんなところ?何があるの?
公園には、広大な芝生に1号墓を有す「史跡広場」、各種案内板で伊都国の歴史を知ることができる「多目的広場」、その2つをつなぐ「学びの路」があります。
また、北駐車場横には、江戸時代に糸島市神在にあった大庄屋の家屋を一部移築、復元した「旧藤瀬家住宅」があります。
古墳「1号墓」が女王の墓と言われる理由
同墓は1965年に地元農家の井手信英氏が偶然発見した14m×10.5mの方形周溝墓。
弥生時代後期~終末期の墳丘で、伊都国の王墓と考えられています。
発掘調査の末、直径46.5cm、重さ8.4kgの内行花文鏡5枚を含む、計40枚もの銅鏡と、耳とう(現在のピアス)、勾玉、管玉(ブレスレット、ネックレス類)や、鉄刀等が出土し、全て国宝に指定されています。
その数や装飾品の多さから、伊都国は強い権力を持ち繫栄した国であり、埋葬されたのはその女王ではないかと推察されています。
出土品の実物および遺跡の模型は糸島市立伊都国歴史博物館(同市井原、公園から約3.5km)で見ることができます。
王墓が示す、伊都国の繁栄と太陽の関係
毎年10月20日神嘗祭(かんなめさい)前後の早朝、同墓越しに東の方角を望むと、ちょうど、山間の日向峠(ひなたとうげ)から太陽が昇ります。
その陽光は、コスモス畑を照らし、同墓に降り注ぎます。
まるで日時計のような現象のため、この墓に眠る王は太陽の運びに合わせて農業や政治を行うことで国を繫栄させたのではないかと語り継がれています。
コスモスに込められた思い
コスモス畑は、この日に見ごろを迎えるよう、地元有志が毎年8月初旬に種をまき、手入れをしています。
この取り組みを始めたのは、同地区在住で伊都国平原王墓保存会の中心人物である井手將雪(まさゆき)氏。
この地に眠る女王の魂を慰めるため、そして、足を運んだ人が平原や伊都国の歴史に興味をもつようにと願いを込めて、開始から25年以上たつ今も仲間と共に活動しています。
10月には校区主催の平原王墓まつりも開催され、咲き誇る10万本のコスモスとともに、公園を訪れる人を楽しませてくれます。
【ライターのお気に入りポイント】
当時の暮らしぶりが伺える旧藤瀬家住宅。
1737年の建築物で、現存する九州最古の民家です。なんと、解体移築される2000年まで、藤瀬家の人々が暮らしていました。横幅15m程の茅葺屋根は圧巻。屋内にはかまどや囲炉裏があります。奥の部屋には屋根裏部屋へ続くはしごも。
火曜日~日曜日、9:00~17:00まで自由に出入りできます。
平原歴史公園にお越しの際は、旧藤瀬家住宅にも是非お立ち寄りください。
基本情報
- 名称
- 平原歴史公園
- よみがな
- ひらばるれきしこうえん
- 所在地
- 糸島市有田 Google Map
- 電話
- 092-323-1111(糸島市文化課)
- 駐車場
- 約20台(平原歴史公園)
- 公共交通
- 筑前前原駅(JR筑肥線)南口からバス(曽根線・雷山線)乗車、「平原古墳入口」バス停下車、徒歩約3分