高祖神楽(春)
高祖神楽は、今から五百数十年前の応仁元年、戦国動乱の時代、時の髙祖城主原田種親が京都守護の任に当たった時に習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますがその始めは定かではありません。江戸時代までは旧怡土郡の神職...
2023年、国の重要文化財指定へ
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高祖山の西山腹に鎮座する髙祖神社。
創建は平安時代にさかのぼるとされる古社で、中世は高祖城を本拠地とする原田氏、近世以降は福岡藩黒田氏の崇敬を受けて繁栄しました。
現存する本殿は、天文10(1541)年の建立で、三間社流造様式では福岡県内最古の木造建造物です。
元亀3(1572)年、寛文2(1662)年に改修されていますが、おおむね元亀3年当時の姿をとどめています。
本殿は、平成25年~28年の大規模修理の際、部材の加工の痕跡や風化の状況から、建造当初の部材と、のちに修理された箇所があることが明らかになりました。棟札の情報と照らし合わせることで、いつ、どの部分に改修を加えたのか、その過程を辿ることができます。
歴史の証人である棟札6枚も、その重要性から重要文化財に指定されることになりました。
国内でも、このように中世にさかのぼる木造建造物は数少なく(京都・奈良を除く)、歴史的価値が高いものと言えます。
毎年4月に春の祈念祭として、10月には夜神楽が髙祖神社境内で奉納されます。
▷高祖神楽(春)
▷高祖夜神楽(秋)
地域みんなで育む高祖神楽
移住者も大きな力に
春は4月の第4日曜日(昼神楽)、秋は10月の第4土曜日(夜神楽)に、高祖(たかす)神楽が賑やかに行われます。今年(2024年)は、4月28日に開催。当日、開始時刻ギリギリに到着したものの、地域の皆さんが交通誘導してくださり、無事に車をとめることができました。
髙祖神社に着くと、神楽殿を囲むように多くの人々が訪れていました。露店もいくつか出ています。
神楽囃が響きだすと、いよいよ神楽のはじまりです。神楽を舞うのは、高祖神楽保存会の15人。一番年長者が、1946年生まれの78歳で、一番若手が、1987年生まれの37歳とのこと。
地域の人たちが育んできた高祖神楽には、長い歴史があります。もともとここ高祖には、なんとお城があったそうです(鎌倉時代に原田種継により築城)。今から550年程前の室町時代、応仁元年(1467)に高祖城主である原田種親が、京の能神楽を高祖に伝えたといわれています。
江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉仕で舞われ(現代の形に整備されたのはこの時代だと考えられています)、明治以降は髙祖神社の氏子たちによって受け継がれたそうです。
「ここ10年ぐらいで、神楽師が一桁になったときもありました。地域の皆さんに『神楽をやりませんか』と声をかけて。郷土芸能に興味を持ってくれた移住者8人が、入ってくれたのです」と話すのは、高祖神楽後援会会長の内田隆志さん。
「僕は、神楽は舞わないんですよ。ただ、高祖神楽をサポートする役目だと思っています。高祖神楽はこれからもずっと地域で受け継いでいかなければなりません。高祖神楽は1981年に福岡県の無形民俗文化財指定を受けていますし、やめるわけにはいきません。僕らが小学生のころは、高祖神楽を見にそれはもう多くの人たちが糸島中から来ていました。小学校では、神楽がある日は『高祖の子は神楽があるから帰っていいよ』と午前中で帰らせてもらっていました。それくらい高祖では神楽が最優先で、大事にしていたものです」
高祖では、子ども神楽として練習に励む小学生や中学生もいます。
「子どものころから神楽に親しんでもらって、高校になったら高祖神楽保存会の神楽師に。育てるという意味でも子ども神楽はとても大事です。進学や就職で高祖を離れても、子どものころに神楽を経験していれば、地元に戻ってきたときに、また入りやすくなる。私たちも誘いやすいですしね。高祖神楽を確実に残していくための取り組みのひとつです」
内田さんの話を聞いていると、高祖という地域の結束力に心打たれると同時に、これからの時代、小さな地域が生き残っていくためにとても重要なことのように思えました。
福岡で最古級!室町時代に建てられた
当時の姿がそのまま残る髙祖神社
高祖神楽が奉納される髙祖神社は、歴史的に見てとても貴重な神社。
2012年に本殿・拝殿・鳥居が福岡県有形文化財指定を受け、それから11年後、2023年に国の重要有形文化財指定へ。これは異例中の異例の早さだそうです。
ことのはじまりは、2008年のこと。髙祖神社の本殿の柱や屋根が朽ち、修復するにあたり、髙祖神社修復検討委員会を発足。まずはどういう状況が調査しようと、県の文化財審議員をしていた河上先生に調査を依頼したそうです。
「すると河上先生が、『これはものすごく古い神社ですよ。室町時代の天文10年(1542)に建てられた神社で、福岡の中では一番古い流造(ながれづくり)本殿』というのです。本殿の柱や梁など当時のまま残っているのは非常に珍しいと。屋根は貴重な檜皮葺(ひわだぶき)。しかも、いつどういう修理をしたか棟札や墨書に記録として残っています。あまりにもすごいお宝なので、すぐに県の文化財にしようということで、2012年に本殿・拝殿・鳥居が福岡県有形文化財の指定を受けたのです。ちなみに2023年に国の重要有形文化財指定を受けたのは、三間社流造・檜皮葺・棟札6枚です」と内田さん。
その後、2014年には、本殿修復工事を開始。県と市の補助と、氏子さんたちの寄付で1億円近いお金をかけて、2016年に修復工事が完成。
「『修復工事をするよりも建て替えたほうが安くて早い』とか『屋根は瓦でいいのでは』という声もありました。しかし、河上先生が『あなたたちはこれを潰したらだめですよ。すぐに県の文化財にして補助金を出すから修理しましょう』と。地域のみんなは、ただただびっくりですよ。なんでそんなすごいものが、ここ高祖に残っているのか。室町時代には原田の殿様が、江戸時になると福岡藩主である黒田が守ってくれ、その後は地域の氏子たちが熱心に守ってきました。熱心というよりも、当たり前のことだったのかもしれません。高祖には伝統や文化、自然を大切にする風土があります。特別なことではなく、当たり前のこととして守り残されているのではないでしょうか」
高祖神楽を見ていたときに感じたどことなくあたたかな雰囲気。これはきっと、高祖という地域そのものが醸し出している空気なんだと感じました(2024/05/13)。
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