特集:古代国家「伊都国」として栄えた糸島

かつての伊都国とは!?

豊かな食材の宝庫として知られ、近年には多くの観光客が訪れ盛り上がりをみせる福岡県糸島市。魏志倭人伝によると、糸島市を含む糸島半島全域は、かつて古代国家『伊都国』として栄えていたといいます。伊都国は、いったいどれほどの力を持ったどんな国であったのでしょうか。伊都国の謎に迫るべく、糸島市立伊都国歴史博物館に行ってきました。

魏志倭人伝によると、伊都国は大陸との交易の窓口であったと記されています。また、中国や朝鮮半島の使者たちは、必ず伊都国に立ち寄る義務が課せられたことが明らかになっています。

すごいぞ、伊都国② 
周囲を統率するリーダー格の国だった

弥生文化が発展していくと、人々の暮らしが豊かなになるとともに、より大きな豊かさを求めて争いが絶えないようになります。そこで、周囲を統率するリーダー格の国が必要になります。そのリーダー格の国の一つが伊都国と言われています。

すごいぞ、伊都国③ 
代々王によって統治されていた

伊都国は、代々の王によって統治され、その力は当時、女王卑弥呼が君臨した邪馬台国に次ぐものと考えられています。王は伊都国の人々に長い間信仰されながら中国皇帝とも深いつながりを持ち、古代国家建設を目指したといわれています。

すごいぞ、伊都国④ 
諸国を監督した一大率(いちだいそつ)が置かれていた

伊都国には一大率と呼ばれる現代の警察のようなものが置かれ、周囲の国々を監視下に置く、国家的に非常に重要な国でした。大陸から人が来た時や日本からの使者を送る時、港で交易文書を交わし、そこで交易された品々の検査にも誤りがないよう目を光らせていたのです。

すごいぞ、伊都国⑤ 
それはもう華やかな王都であった

伊都国の生活は大変豊かであったことが推測されます。伊都国には多くの人々が集まり行きかい、そしてその集落には王の宮殿をはじめ、役人たちの官舎、中国や朝鮮から来た人々の迎賓館などが建ち並び、華やかな王都の姿が目に浮かび上がってきます。

伊都国の偉大さを証明した王墓 
平原遺跡

1965年に発見された平原遺跡。この平原遺跡こそが、伊都国がどれほどの力を持っていたかを知る手がかりとなったのです。

発掘調査を行ったのは、地元である糸島に暮らす在野の考古学者である原田大六さん。糸島高校歴史部の顧問である大神邦博先生と部員らとともに調査が行われました。ちなみに、原田大六さんは、小学校の教員である奥さまに支えられ、発掘調査や研究に専念。「日本神話の舞台は弥生時代の北部九州!日本国家の起源は糸島にあり!その証拠こそ平原弥生古墳である!」という原田学説を打ち立て、全国に知られることとなりました。

◆原田大六さんについては、こちらから

平原遺跡のここがすごい① 
発掘された銅鏡は、なんと40面

平原遺跡の中心となる平原王墓1号墓の棺は長さ3mの割竹形木棺。棺の内外からは、割れた銅鏡が40面発見されました。40面という数は、弥生時代では日本一の数。銅鏡は古代文化を知る上で最も象徴的なものです。全国でも多数見つかっていますが、伊都国では140枚程度が出土しています。このことから、伊都国がどれほど権力を持っていたかが分かります。

平原遺跡のここがすごい② 
直径46・5㎝の内行花文鏡(国宝)は、国内外最大級!

銅鏡には様々な種類のものがありますが、その代表的なものが伊都国で出土した内行花文鏡です。鏡の中心に花のような模様があることから名付けられました。平原遺跡を発掘した原田大六さんは、この鏡の円周が八咫(咫は女性の中指と親指を広げたときの長さ)に相当すること、伊勢神宮の文献にある八咫鏡の記述「八頭花崎八葉形」と図象が類似する、八咫鏡を格納するとされる容器の内径が「一尺六寸三分」であることから、この銅鏡を「三種の神器」のひとつで、伊勢神宮の御神体である「八咫鏡」と同型の鏡であると主張しています。

平原遺跡のここがすごい③ 
銅鏡の文様に当時の人々の宇宙観が伺える

周囲に四神(四神は四方を司る神獣)をあしらった、幾何学の文様が特長の方格規矩四神鏡。内側を向いた弧状の文様が、花びらのように見える内行花文鏡。これらは、ほとんどが中国製とみられ、当時の中国の宇宙観が描かれていると言われています。よく見ると繊細な模様で飾られ、その技巧から技術の高さがうかがえます。さらに、青灰色に着色されたものもありますが、このような着色は中国製の銅鏡にはみられないため、日本製の可能性も指摘されています。弥生時代の遺跡から出土した銅鏡で青灰色に着色されたものは、平原遺跡以外では確認されていません。

平原遺跡のここがすごい④ 
日本でただ一つ!王のアクセサリー(ガラス耳とう)が出土

平原遺跡からは、色鮮やかな王のアクセサリーが見つかっています。このことから、伊都国王は女王の可能性があると言われるようになりました。平原遺跡鮮やかな赤色が目を惹くメノウ管玉は弥生時代の遺跡ではほとんど発見されていません。ガラス耳とうは現在のピアスのようなもので、漢の時代、貴族の女性が身に着けていたもので、日本でただ一つの発見例。弥生時代のものとしては珍しいガラス連玉も見つかっています。

伊都国王の最初の墓 三雲南小路遺跡

江戸時代終わり頃(1822年)に発見。大きめの鏡と武器が副葬されていた1号には王が、小さめの鏡と装飾品が副葬されていた2号には王妃が埋葬されたと考えられています。弥生時代の墓としては巨大なもの。57枚の前漢鏡をはじめ、ガラス壁と金銅四葉座飾金具という珍しい副葬品も発見されています。

伊都国博物館で、伊都国の歴史に触れよう!

伊都国歴史博物館では、伊都国の歴史に触れることができます。平原遺跡の鏡などの出土状況を再現した原寸大の模型があり、伊都国や伊都国王を想像してみるのは楽しいものです。また、国宝に指定された青銅鏡40面は、精細な文様が鋳出されていて、見惚れてしまいます。その他、素環頭大刀・メノウ管玉・耳とうなどの国宝を間近に見る機会はそうありません。糸島の今に、はるか遠い昔に、思いを馳せてみませんか。

伊都国博物館では、11/24(日)まで令和6年度 伊都国歴史博物館 開館20周年記念 秋季特別展『吉備と伊都国 巨大墳丘墓と大鏡』を開催しています。

伊都国歴史博物館、詳細はこちらから

基本情報

開催日時
2024年10月~