浮嶽・浮嶽神社
神が宿る山 目印となり海からの人を導く
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福岡県と佐賀県の県境にまたがる山地、背振山系の西端をなすのが、浮嶽(うきだけ)。
海から見ると「浮いて見えた」と言われ、陸地の目印になっていたのが名前の由来だといいます。
海からの最高の目印『浮嶽』を目指せ
※2023年10月現在、大もみじへつながる広域基幹林道が通行止めになっており、復旧の目途が立っていません。道路状況については、糸島市役所HPをご確認ください。
壱岐に船で渡る際、最後まで見えるのが浮嶽と言われるほど、海からの最高の目印となり、海がしけの時にも人々を導いてきたと伝えられています。
また漁師が自分の船の位置を確認するために見ていた樹齢600年の「大もみじ」も存在します。
別名「魚見(うおみ)のもみじ」とも呼ばれ、海から真っ赤になった大きなもみじが見えるポイントでは魚が大量に捕れたともいわれています。
平安時代から浮嶽を見てきた3体の仏像
浮嶽は山全体が信仰の対象になっています。中腹には浮嶽神社の中宮があり、神功皇后がこの山頂で戦勝祈願し、帰朝後、神社を造営したと言い伝えられています。
浮嶽神社には平安時代に作られた3体の仏像が保管されています。
この仏像は、明治時代の神仏分離政策による廃仏毀釈という仏教を排斥する運動を辛うじてくぐり抜け、壊されることなく今に至るのですが、手首などが失われました。
重要指定文化財にも指定され、普段は収蔵庫に保管されていますが、事前に浮嶽神社(092-326-5641)に電話予約をすると拝観できます。
ただし日時によっては拝観できないこともありますので、希望される場合は、お早めに浮嶽神社にご相談ください。
白い龍と村娘が恋に落ちた伝説の場所
浮嶽には白龍伝説というお話もあります。白い龍が村の娘と恋に落ち、その娘が産んだ男の子が龍の予言通り、後に神功皇后の部下となり、大活躍したという伝説です。
伝説の中で、娘は恋した若者が龍だったと、岩の洞窟で知ります。それが浮嶽山頂付近にある白龍稲荷神社だといわれています。
【ライターのお気に入りポイント】
奈良時代に聖武天皇の勅願により、インドからの渡来僧である清賀上人によって怡土七ヶ寺が創建されました。浮嶽神社はその1つ「久安寺」跡だと言われています。
厳かな雰囲気の中、にこやかな大黒天様と恵比寿様に出迎えられ、思わず笑みがこぼれます。
木々たちに囲まれ深呼吸すると、自然と穏やかな気持ちになれました。
基本情報
- 名称
- 浮嶽・浮嶽神社
- よみがな
- うきだけ・うきだけじんじゃ
- 所在地
- 糸島市二丈吉井 Google Map