志登神社

太陽の通り道に造営された糸島唯一の式内社

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糸島市志登(しと)にある志登神社は、糸島で唯一「延喜式(えんぎしき)神名帳」に記載された、筑前国十九式内社の一社です。海神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が祭られています。

志登神社鳥居

太陽を崇める祈祷の場所だった志登神社

志登神社は、伊都国時代にこの地で祈祷をしていたのが始まりと言われています。

志登神社を中心に高祖山や雷山、可也山などの山々が東西南北に位置し、夏至や冬至、春分秋分の日の出、日の入りの方角と重なっていることや、境内に祈祷師が用いたとされる太陽観測石が残っていることから、天体観測が行われていた場所だったと伝えらえています。
冬至には鳥居から社殿へと一直線に夕日が差し込む光景を見ることができます。

太陽観測石
志登神社提供
冬至の夕日

乱世より幾度も火災に見舞われた社殿

戦の度に火災消失し、幾度となく再建されてきた歴史を持つ志登神社。現在の社殿も2014年の火災により翌年再建されたもので、式内社の格式ある立派な造りをしています。

志登神社提供
拝殿
拝殿内部

拝殿内には、当時修復のため持ち出されていて唯一火災を免れた絵と、再建を祝して模写された2枚の「平治の乱」の絵を並べて掲げています。
また、福岡で活躍した日本画家、松山冠山の「蒙古襲来絵馬」は先の火災で消失しましたが2016年の正月に復刻されました。(祭事以外の日は拝覧予約が必要)

奉納絵

伊都国の総社であり弘法大師空海ゆかりの神社

志登神社は、志摩郡、怡土(いと)郡の総社であり、この地方で最も有力な神社として崇敬を集めた大社でした。
拝殿内には古絵図が奉納してあり、江戸時代に志登神社から南に位置する志登村に空海ゆかりの照光寺(本務社)があったことを伝えています。
昔は東西から入江が割り込む海になっていて、中心の浮島に志登神社があり、人々は海上から参拝をしていたと言います。

古絵図

志登神社にまつわる伝説

神社入口右にある「大石大神(立石大神)」は、照光寺と志登神社の間にあった「細語橋(ささやきばし)」に使われていた石です。 足が不自由で立てなかった人が、この橋の上に来ると足が立ったという伝説が残されており、万病平癒(へいゆ)を願って祀られています。

境内入口の注連柱の前に「寿亀(としかめ)」の社碑があります。
御祭神の豊玉姫命は、昔話「浦島太郎」の乙姫とされる神様で、龍宮で身籠った豊玉姫命が彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を慕って陸に上がった地として龍宮伝説が残っています。

大石大神
寿亀碑

日本三大弁財天の一つ「厳島弁財天(べんざいてん)」の分霊が宿る浮島

境内右手の「厳島弁財天」は、平安、鎌倉時代にはすでにあり、後に博多の商人たちによって鳥居が建てられたと言われています。昔は弁財天の浮島を囲む堀に水が張ってあったそうです。
弁財天は、水の神、諸芸能上達の神、蓄財の神として信仰されています。

弁財天鳥居
弁財天

神社周辺に点在する古跡

岩鏡(志登神社から南100m)
小宮跡(志登神社から西北100m)

神社周辺には古跡が点在していて、その一つ「岩鏡(いわがみ)」には、豊玉姫命が岩鏡の上で髪をとかしたと伝えらえています。
丸く平らな岩の形から、伊都国以前に朝鮮から渡ってきた人たちを埋葬した支石墓(ドルメン)だと言われています。
他にも、再建の際に祭神を分霊していた小宮、志登史石群、鏡掛松、拝松、玉ノ井などの古跡が残っています。

数年に一度、御神体(掛け軸)をご開帳

志登神社の現在の社殿は、2014年火災により焼失し、2015年に再建しました。
その際にご神体も消失したため、新たに作成。御神体は木彫りのもので、掛け軸に描かれた彫り師による絵が原型となっています。ご神体はいったん奉納すると、宮司でさえも見ることができません。そのため、掛け軸を作り、10年から20年ごとに例大祭でご開帳をすることにしたとのことです。2024年10月6日の例大祭でご開帳予定です。

【ライターのお気に入りポイント】

緑深い境内の右奥に2本の「神命木(しんめいぼく)」があります。台風によって根元から倒された木が、今も力強く枝葉を広げ生きています。木の前に立ち静かに深呼吸をすると、足元から力が湧いてくるようです。

神命木
神命木

基本情報

名称
志登神社
よみがな
しとじんじゃ
所在地
糸島市志登82 Google Map
電話
092-322-3388(志登神社 総代 :岩隈)
ホームページ
http://shito-jinja.com/index.html
公共交通
波多江駅(JR筑肥線)から徒歩約17分