可也山

「見て良し、登って良し、営み良し」三方良しの可也山

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標高365m。高い山ではないですが、末広がりの美しい独立峰で「筑紫富士」「糸島富士」とも呼ばれる可也山。展望台からの玄界灘の景観は見事で、火山だった名残と、人々の生活や信仰に根付いた営みも感じられる山です。

冠雪し、富士山のような姿になった可也山

古代朝鮮と往来した人々も眺めた美しさ

志摩の西側の引津湾は、弥生時代から奈良時代にかけて、古代朝鮮と往来した使節が停泊していました。
渡来してきた人々は、優美な山を見て、故郷の朝鮮半島南部にある「伽耶山」を懐かしみ「可也山」と呼んだという一説があります。

奈良時代には新羅に渡った役人が、次のような歌を詠んでいます。
「草枕 旅を苦しみ 恋ひ居れば 可也の山辺に さ雄鹿鳴くも」

鹿の鳴き声を聞きつつ眺めた可也山が、苦労の多かった旅の慰めになったのかもしれません。
引津湾に面した船越半島の先にある万葉の里公園にはこの歌碑があり、海の先に可也山が眺められます。

万葉の里公園にある歌碑
背後に可也山が見える
歌碑は福田赳夫元総理大臣が筆耕

可也山は火山だった!噴火口はどこに?

可也山は火山でした。
山を構成する岩石の大部分は花こう岩(花崗閃緑岩/かこうせんりょくがん)で、恐竜がいた約1億〜9000万年前に、地下数キロmの深部のマグマが隆起し、ゆっくりと冷却されて固まってできました。その後、猿人がいたとされる約300万年前に、基盤を貫いて玄武岩が溶出したと見られています。
可也山を登ると、火山だった名残を見ることができます。

師吉(もろよし)側の登山道を進むと、中腹あたりから巨石が山肌に露出しています。これが花こう岩です。

さらに登り進め、第1展望台を過ぎると溶岩が固まったような黒っぽい小石や赤みを帯びてゴツゴツした玄武岩が増えます。玄武岩は風化作用で表面は赤褐色になりますが、内部は文字通り黒っぽい色をしています。

山頂付近になると増える玄武岩
外面は風化して赤茶っぽいが内部は黒い

可也山の噴火口はどうなっているでしょう?
可也山には富士山のような円形の噴火口はありません。頂上付近にいくつか溶岩の噴出口跡と思われる穴が残っています。展望台のすぐ下にも同様の跡があり、板状節理の大きな玄武岩にガマガエルが口を開けたような穴が空いています。展望台の南西側の斜面を下る「親山(おやま)遊歩道」につながるルートから見ることができます。

ちょうど展望台の真下にある溶岩噴出口跡と思われる穴

可也山と黒田家とのつながり

師吉側の登山道で、長い階段の途中の休憩地点になっているのが「石切場」です。石切場とは、自然にある岩石を割った作業場のことです。

休憩地点にはくさび跡のついた大きな石があります。くさびの跡は3ヶ所あり、形状が異なっています。
一つは垂直方向のくさび跡で目が細かく幅が均等になっています。昭和30年代に鉄のくさびを用いて切り出した跡です。石の下部には幅の広いくさび跡があり、江戸時代に木のくさびを打ち込んだ跡だと言われています。

石切り場の休憩地点にある大きな花こう岩
右端と、正面と右面下部にくさび跡が見える
昭和30年代の鉄のくさび跡
江戸時代の木のくさび跡

可也山の花こう岩類はとても良質だったため、寺社や城の建材として利用されていました。

中でも有名なのが、江戸時代に黒田長政が、徳川家康のために普請した日光東照宮の一ノ鳥居(石鳥居)です。柱の直径が約1mもあり、江戸時代で日本最大級の大きさだったというこの鳥居は、可也山から15個の巨大な石を切り出して造立されました。

日光東照宮の一ノ鳥居
可也山の花こう岩をつなぎ合わせて組み立てた
日本三大鳥居の一つ

可也山から大きくて重い石を切り出し、山から下ろして船で運ぶのは大変な労力でした。そのため村人たちは後年、可也山の石を求められても、「石はもうなくなった」と依頼を断っていたそうです。

可也山の東南のふもとには巨石を祭った「大石神社」があります。この石は可也山から下ろし、船で運ぼうとしてそのまま置かれた石ではないかと言われています。

大石神社の石
付近にも数個の大きな石がある

可也神社への参道は親山(おやま)にあった

可也山上には神武天皇を祭った可也神社が座しています。

可也神社
毎年4月15日に可也村時代からの神事が行われ、今も地元の人たちによって続けられている

神武天皇が日向の国から東征に向かう際に、国見をするためにこの山頂に立ち寄ったという伝承が残っています。可也神社の起こりは分からないですが、明治時代の文献に、親山地区にある熊野神社の摂社の一つとして記録されています。

現在、可也神社を訪れる人の多くは師吉側の登山道を経由していますが、参道は親山側にありました。

「可也神社参道口」と刻まれた標石
側面には「是ヨリ神社迄十六町」とある

熊野神社からも近い、山の中腹にある虚空蔵堂(こくぞうどう)のあたりから登る急斜面の山道で、可也神社への道標がところどころに残っています。

可也神社の石祠は、1940年に当時の可也村をあげて整備したもので、その時も参道から材料を運びました。可也小の子どもたちも協力していたそうで、コンクリートに使う砂や石をリュックに詰め、参道を登って運んだと地元の人は話します。

参道は今は通れませんが、虚空蔵堂の先から展望台に直結する親山自然遊歩道が新しく整備され、師吉側の登山道とは異なる風情が楽しめます。

親山自然遊歩道
地元の人たちによって整備された
こまめに道しるべが施されているので迷わず登れる
可也神社の御朱印は親山の熊野神社でもらえる

可也山山頂へのリフトがあった

可也山の師吉側の登山道を登ると、第一展望所の手前にパラボラアンテナが設置された広場があります。ここはかつて可也山山頂へのリフトの到着点でした。

第1展望所下のパラボラアンテナ広場
リフトの到着点だった

昭和55年に自然を体験できる場として、可也山の東側の師吉地区に観光ミカン園やいもほり畑、バンガローなどを整備した「可也の苑(さと)」がオープンしました。

この時にリフトも設置されましたが、リフトに乗ったのは人だけではありませんでした。ランの栽培で、若苗を気温に合わせて山頂へ運搬する用途もあったのです。観光向けにも利用され、急斜面をぐんぐん登るリフトはスリルがあったそうです。

昭和55年7月に開通した可也山のリフト
(「新修 志摩町史」より)

その後、可也の苑は閉園し、リフトも撤去されました。
当時植えた桜は大きく育ち、春になると辺り一面を桜色に染めます。花見の時期のみ一般開放され、天気の良い日は花見客で賑わいます。

元「可也の苑」の桜
満開になると可也山の裾野が桜色になる

【ライターのお気に入りポイント】

可也山の登山道の整備をしているのは登山ボランティアです。また可也神社、展望台付近は地元の人が定期的に草刈りし、展望台に設置されている木札も地元ボランティアメンバーが手作りして運んでいます。可也山を大切にする人の存在が感じられて、温かい気持ちになります。

登山記念木札
地元の可也校区振興協議会が設置
ときどき可也小学校の子どもたちが描いた木札が混ざることもある

基本情報

名称
可也山
よみがな
かやさん
所在地
糸島市志摩小金丸 Google Map
公共交通
筑前前原駅(JR筑肥線)北口からバス(船越線・野北線)乗車、「師吉公民館」バス停下車、頂上まで徒歩約約1時間
※バスの本数が少ないので事前にご確認ください。