火山瑠璃光寺

~なぜ火山に人は惹きつけられる?~

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糸島市北西部、可也山北側の火山の9合目付近に、沖を通る船の守り神として清賀上人(せいがしょうにん)が建立したと伝わる火山瑠璃光寺(糸島市志摩稲留)があります。

火山瑠璃光寺の本堂

太宰府への連絡場所だった?

古来より夜間の海上交通の目印となっていた火山。「筑前國続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」には、神功皇后が新羅(しらぎ)討伐の際に山上で火を焚いたことが記され、火山の名の由来となったと伝わっています。
海上からの目印という以外に、もう一つの役割があったとする説もあります。火山が大宰府に外敵の侵入を知らせるのろし山だったというもの。
瑠璃光寺の駐車場からは、遠く高祖山(たかすやま)の向こうに、大宰府政庁跡の真横に位置する大野城跡が見え、のろし山としての役割があったことを想像できます。

瑠璃光寺駐車場から、高祖山、大野城跡が見える

現在も、のろしをどこで上げていたのかはっきりとは分かっていませんが、面白い実験が2015年に行われました。
それは、2015年の元旦に、地域住民と糸島高校歴史部の生徒が協力して、火山でのろしを上げるという実験です。残念ながら悪天候のため、大宰府との中継点の高祖山からのろしを確認することはできませんでしたが、1300年の時を経て上がったのろしに参拝者たちは大きな拍手を送りました。

瑠璃光寺に残る2つの伝説① 瑠璃色の光

遣唐使節が盛んだった頃、この海域を通ったある船が大きな嵐に見舞われたそうです。その時、火山の山頂に瑠璃色の光が輝きました。乗っていた人々が光に向かって拝むと、光は消え、嵐もおさまったそうです。以来、航行する船は帆を下げ、礼拝する習わしができました。

山頂付近から西を望む
航海する船は帆を下げ、礼拝したと伝わる

その後のことが瑠璃光寺に残る「瑠璃光寺略縁起」に書かれています。
「帆を下げざれば、風が吹いて転覆させようとする」ため、海が見えない現在の位置に本堂が移され、ご本尊である薬師如来は秘仏とされました。現在は年4回(1月、4月、7月、10月)の御開帳の時にのみ、ご本尊を拝観することができます。

瑠璃光寺提供
瑠璃光寺略縁起の一部
瑠璃光寺提供
御開帳の際の護摩(ごま)供養の様子

火山に残る2つの伝説② 夢のお告げ

1532年、瑠璃光寺は火災に見舞われ、ご本尊や七堂伽藍(がらん)などをことごとく焼失しました。信仰深い村人たちは嘆き悲しみましたが、ある夜、村人たちの夢枕に薬師如来がたち、「壱岐に住む孫次郎の家の庭の椿の木に宿っているから迎えにきてくれ」とお告げがありました。
村人たちが壱岐へ行くと、確かに椿の木があり、この木に村人たちの手でご本尊を刻んだと伝わります。

瑠璃光寺提供
旧本堂に祀られている旧本尊

この伝説の薬師如来像は旧本堂に祀られています。地元の人との関係が深い薬師如来。地元人々は薬師如来を「お薬師様」と呼び、大事に守り継いでいます。

本堂の斜め向かいに立つ旧本堂

たくさんの伝説が残る火山瑠璃光寺。西側の山腹からの玄界灘の絶景と往時(おうじ)をしのぶことのできる史跡が、今もなお人々を惹きつけています。    

【ライターのお気に入りポイント】

薬師如来は、病と苦しみを癒し、救うことができるとされる仏様です。瑠璃光寺の参道下から湧く水は「薬王水」として有名で、特に眼病治癒に効能があるとされ、今でも多くの人が病気の平癒(へいゆ)を願って水を汲みに訪れます。
火山には推古天皇の御代に、新羅征討のためにこの地に駐屯したと伝わる来目皇子(くめのみこ)の陵墓があります。目に効果があるのは来目皇子の名が由来かもしれません。

眼病に良いとされる湧き水:薬王水

基本情報

名称
火山瑠璃光寺
よみがな
ひやまるりこうじ
所在地
糸島市志摩稲留1053 Google Map
ホームページ
http://rurikouji.or.jp/