特集:もっと知りたい!桜井二見ヶ浦

美しい景色を見てエネルギーチャージ! 縁結びや夫婦円満の神様が宿る桜井二見ヶ浦

糸島といったら、『桜井二見ヶ浦』が糸島の象徴となりつつあります。

そもそも二見ヶ浦(夫婦岩)は、櫻井神社の宇良宮としておまつりしているご神体。夫婦岩と呼ばれる2つの岩は、向かって右が男性の神様『いざなぎのみこと』で、向かって左が女性の神様『いざなみのみこと』。荒波の中で寄り添う夫婦の姿をしていることから、縁結びや夫婦円満のご利益があるといわれています。

「山や岩など自然の物には、特にその姿がきれいであるほど神様が宿るといわれていました。一番有名なのが富士山で、山そのものがご神体とされています。昔の人たちは自然の景色や自然そのものに感動し、きっとそこには神が宿っていると自然崇拝(自然物を擬人化・神格化する信仰)が生まれたと考えられています」と話すのは、櫻井神社禰宜の外山貴寛さん。

「二見ヶ浦といったら、本来、三重県伊勢にある二見ヶ浦のことを指していました。むかし天照大神(あまてらすおおみかみ)をおまつりするにあたり、いろいろなところを巡行した結果、伊勢にある二見ヶ浦におまつりすることになったといわれています。この2つの岩は2度見返すほど美しかったので、二見ヶ浦という名がついたそうです。
糸島にある二見ヶ浦は、はっきりと時代は分かりませんが、明治時代なのか大正時代なのか伊勢の二見ヶ浦に似ていたことから、二見ヶ浦と呼ばれるようになりました。江戸時代には鈴岩と呼ばれていた記録が残っています。鈴岩は清涼の岩を示すもので、清々しい信仰の対象であることは、今も昔も変わりはありません」

神様が宿る場所を示すしめ縄
地元の氏子たちが年に一度掛けかえる


毎年4月下旬から5月上旬の大潮にあわせ、大注連縄が掛け替えられます
(2025年は4月27日)
大注連縄の掛け替えは、桜井地区に暮らす60人ほどの氏子さんたちの手によって行われます。当日の午前中、氏子さんの田んぼで取れた稲わらを使い、藁すぐり(藁を編めるようにきれいな状態に整える作業)を行い、大注連縄を編んでいきます。約3時間で全長30メートル、重量1トンの大注連縄が完成。午後から二見ヶ浦に移動し、干潮を迎える午後1時半から3時半ごろにかけて、大注連縄を掛け替えます。この大注連縄には、昔から氏子や崇敬者の願いを綴った紙を編み込む習わしになっています。大注連縄がいつ掛けられるようになったのかは、はっきりと分かっていません。昭和32年(1957)に再興したと祝詞に記されています。

日照時間が一番長い夏至には
伊勢の二見ヶ浦の中心から朝日が昇り
糸島の二見ヶ浦の中心に夕日が沈む

青空の二見ヶ浦はもちろん美しいのですが、夕日が沈む二見ヶ浦も息を飲むほどの美しさ。6月の夏至ごろになると、伊勢の二見ヶ浦の中心から朝日が昇り、糸島の二見ヶ浦の中心に夕日が沈みます。

「夏至は日照時間が一番長く、太陽の力が一番強いころ。伊勢神宮におまつりされている天照大神(あまてらすおおみかみ)さまは太陽の神様として信仰されています。このタイミングで伊勢とつながりがあるのは、何か大きな力を感じます。
そもそも、櫻井神社に伊勢神宮のお神様がおまつりされるようになったのは、『ここに、伊勢の神様をおまつりしなさい』というご神託を受けた浦姫様が福岡藩の黒田忠之公にお伝えし、それを聞いた忠之公が寛永2年(1625)、伊勢神宮の神職に内宮と外宮のご分神を奉じさせ、櫻井大神宮が創建されました」

櫻井神社は、慶長15年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現されたことにより創建しました。寛永9年(1632)に、現在の社殿を創建。2023年には、本殿・拝殿・楼門が国の重要文化財に指定されました。


今や糸島の象徴となった二見ヶ浦には、連日たくさんの人々が訪れます。煌めく海の中に佇む夫婦岩と海中大鳥居は圧倒的な存在感で、見るものを魅了します。そして、なによりここにいるだけで、何だか心地よく穏やかな気持ちになっていきます。

「この場を美しいと思い、この場を実際に訪れることで深まるのが、信仰心というものです。観光スポットである二見ヶ浦を訪れ、この自然を、この風景を、美しいと感じることで、すでにご利益を授かっているのではないでしょうか」と話す外山さんの言葉に、二見ヶ浦にたくさんの人々が訪れる理由が分かる気がしました。
(2024/5/1)

基本情報

開催日時
取材:2024年5月1日